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2010-09-14 00:00
議員の「半数」が小沢支持という民主党の度し難さ
杉浦 正章
政治評論家
小沢一郎の立候補を「開いた口がふさがらない」と社説で書いたのが朝日新聞だが、その口は依然開いたまま選挙当日を迎えた。なぜ開いたままかというと、小沢支持の議員が411人中半数に達するというアブノーマルが通用する政党の存在が立証されつつあるからだ。秋には刑事被告人になり得る候補を、こともあろうに「首相」としようというのだから、民意が唖然・呆然を通り越して、りつ然とする段階に入ったことは間違いない。あきれかえった事はまだある。民主党有志議員主催の討論会では、あらかじめ「政治とカネ」を議題から外したという問題意識の低さだ。3か月前に首相と共に「政治とカネ」でダブル辞任した候補を「まあまあいいじゃないか」と黙認しようというわけだ。「政治とカネ」では“本家”筋に当たる自民党でもあり得なかったことだ。
総合的には菅が有利で、小沢が猛追するパターンだが、議員票では小沢が上回りかねないということ自体が、この政党の立ち位置を物語っている。代表選は「菅 Vs 小沢」の戦いに加えて「小沢 Vs マスコミ」の側面が色濃く出た。全マスコミを敵に回したのが、小沢立候補の実態であった。普通ならひとたまりもなく泡沫(ほうまつ)候補に押しやられるところだが、野党第1党である自民党議員数187人を上回る議員が小沢支持に回るという事態である。「政治とカネ」党でも結成すれば、選挙でゼロになるまでは国会で幅を利かせられる数だ。ある意味でマスコミの力の限界を見せつけているのが、小沢支持勢力の姿だ。
なぜこのように異常としかいいようがない潮流が生じたのだろうか。第一に挙げられるのが、虚構の「小沢神話」信奉者が多いと言うことだ。「選挙の神様」的なあがめ方だが、前回の参院選と衆院選の勝因は、自民党の敵失にあることを理解していない。前回の参院選は「消えた年金」、衆院選は泥酔財務相が象徴する「自民党政権の末期症状」が、民主党を勝たせたのであり、小沢の能力とは別次元の話だ。現に小沢は先の参院選で誰が見ても無謀な2人区に2人擁立をして、惨敗している。それでも「神様」だろうか。とりわけ若い議員には「錯覚」があるのだ。政策についても小沢グループ幹部は何の批判もなく、小沢の発言のおうむ返しを繰り返す。しかし国有財産200兆円の証券化、補助金の一括交付金化にしても実現不可能とされており、最後には無利子国債の発行で高速道路を作ると言いだした。さすがに専門家の総スカンを食らったが、荒唐無稽(むけい)の奇策であろうと、なんであろうと、小沢の言うことはすべて正しいという、全体主義にも通ずる風潮が背景にある。
なによりも問題なのは検察審査会の議決で「刑事被告人」となりうる候補を推すという、議員心理である。首相が刑事被告人となって裁判が展開されるという事態が意味することを理解していない。多くの議員が小沢のリーダーシップを賞賛するが、被告席に立った首相を国民が認めることはあり得ない。ましてや世界中の嘲笑の対象になって、外交も円滑に進展しない。したがって、リーダーシップは発揮不能である。「民(たみ)信なくば立たず」とはこのことを言う。要するに民主党は、国会議員の半数が小沢の立ち姿を是認するのであり、これは8割が「小沢首相」に反対する世論に逆行する。民意とかけ離れたというか、民主党に期待して投票した民意を裏切ったともいえる行動である。この民意と国会議員との“ねじれ”はいかんともしがたく、早期解散・総選挙で決着をつけるしかない。代表選の投票は無記名で行われるが、誰が誰に投票したかは100%近く分かるのが、政界の常識だ。因果応報となることを肝に銘ずるべきだ。
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