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2010-09-02 00:00
(連載)ロシアの対日戦勝記念日にどう対応すべきか(2)
袴田 茂樹
青山学院大学教授
ロシアにおける9月2日の戦勝記念日の制定についてだが、ロシアがこの戦勝記念日を祝うのは、米国など他の連合国が同じ日を対日戦勝記念日(V-J Day)と見ているのと同じで、ロシア国内の問題であり、取り立てて抗議すべき筋合いのものではない、との見解がある。しかし、この日に関して言えば、日本にとっては、米国などとソ連(ロシア)では本質的な違いがあり、わが国は以下の理由により、ロシアに強く抗議すべきなのである。
(1)ソ連は日ソ中立条約を破って1945年の8月9日に対日攻撃をした。(2)ソ連は9月2日(9月3日)を、日露戦争敗北の復讐を成し遂げた日として祝ってきた(スターリンの報復主義的な演説が新聞に載って公的に祝賀をしたのは9月3日なので、ソ連時代は9月3日を祝った)。つまり、報復主義の記念日としてきた。(3)日本が関係していないヤルタ協定に基づき、ソ連は大西洋憲章、カイロ宣言に反して領土を拡大した。(4)対日戦勝の日でありながら、ロシアは日本と国境画定をしておらず、平和条約も締結していない。さらに、ソ連はサンフランシスコ講話条約にも参加していない。(5)日本がポツダム宣言受諾を国民に声明し、軍を武装解除した8月15日以後、連合国でソ連だけが日本(千島列島)を軍事攻撃したが、9月2日の記念日は、それを正当化する口実になる。
第2の報復主義とも関係しているが、ロシアでは対日参戦や北方領土の領有に関して、歴史を捏造した説明がなされている。2005年9月3日、たまたま安保研主催の「サハリン・フォーラム」の関係で私はユジノサハリンスクに滞在し、中央の広場での対日戦勝記念日の式典とパレードを見学した。式典では、サハリンの「軍国主義日本の侵略からの解放」が祝われ、南クリル、つまり北方領土が「ソ連兵士の血で贖った領土」とされて、その死守が誓われた。
南サハリンは日露戦争の結果、講和条約で国際法に基づき、両国の合意によって日本に引き渡されたものだ。また、北方領土では日ソの戦闘はなく、ソ連兵士の血は一滴も流されていない。ロシアでは、このような歴史に関する正しい認識がないために、プーチンなどの指導者でさえも、北方領土の領有は戦争の当然の結果であると公言するのである。(つづく)
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