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2010-08-11 00:00
国連中心主義を一度見直してみよう
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
わが国のナイーブな国連中心主義と、それに付随した国連信仰のようなものは、一度見直してみる必要がある。民主党お得意の事業仕分けで国連関連の拠出金、特に得体の知れない「基金」を洗ってみれば、びっくりするような実態が明らかになる筈だ。それもその筈、国連というのは巨大な国際官僚組織であり、おそらく世界で最も非能率で、腐敗した機関の一つではないか、と言う人も多い。日本の官僚組織のように、監視の目がこんなに近くにあってさえ、あの始末だ。国連のように、そうした監視やチェックの機能がほとんど働かないところで何が起こっているか、想像がつこうというものだ。
日本の国連中心主義が広く国民に支持されているのには、多分次のような理由がある。この間お辞めになった総理大臣ではないが、「こうなったらいいな」というのが、「こうなるべきだ」、さらには「こうなるに違いない」となる、そういう安易な混同に陥る傾向が日本人にはある、ということだ。日本が国際紛争の当事者になったらどうするか、という真摯な検討はお留守にして、紛争が起こらないように努力するのが先ず大事だ、という話になる。それはそれで別に悪いことではないが、いつの間にやら「起こらないようにする」努力さえしていれば「起こる筈がない」ということになり、「起こらないようにする」ためには、二国間主義(bilateralism)よりは多国間主義(multilateralism)の方が良いことになり、ゆきつくところが国連中心主義になる、という寸法だ。
で、国連といえばほとんど葵の御紋みたいになって、「国連中心主義の御紋が目に入らないか」ということになる。だから、国連の事務総長といえば、もうほとんど無条件にあがめ奉ることになる。日本の外では決してそうではない。その一例が、『ニューズウィーク』日本版に掲載されたジェームス・トラウブの「お引き取り下さい潘基文事務総長」だ。「潘基文は加盟国と国連スタッフの信頼と尊敬を失った」「合意を築くより、命令を発することを好み、異論を唱える人間の忠誠心を疑う傾向がある」「それでも勤まっているのは、国連の権威を低下させる人間が事務総長になるのは好都合だ、と中国が思っているからだ」と散々である。
別に、この記事が真実を伝えているというつもりはないが、少なくともそういう見方も世界にはある、ということだ。意外に気づかれていないことだが、この国連中心主義は、日本の官僚にとっても大変都合の良いシェルターを提供している。もっと直接法で言えば、ぶら下がって食べている官僚が少なくない、ということだ。ゴキブリとたちの悪い税金泥棒はどこにでも棲みつく。
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