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2010-08-03 00:00
(連載)東アジア史における日本の特異性(2)
河村 洋
親米・国際介入主義NGOニュー・グローバル・アメリカ代表
他方で中国とアジア近隣諸国は眠りの中にあり、儒教的な世界観に基づいて中華皇帝が天帝の名代として地上を支配する世が続くものと信じて疑わなかった。冊封体制の下では中華皇帝が世界の諸王の上に君臨した。そのため中国はどの国とも対等の関係を持ったことがなかった。朝貢貿易は中国への忠誠の証しであり、近隣諸国の王は自国の産物を中華皇帝に献上し、皇帝からは恩寵の品々を受け取るのであった。イギリス特使のジョージ・マカートニーもウィリアム・アマーストも、日本の太閤であった豊臣秀吉も、中華皇帝による臣下扱いに怒りを隠さなかった。
この中華秩序は、ウェストファリア体制に代表される近代的な政治経済体制とは相容れないものであった。自由貿易の守護者であった大英帝国こそ、東アジアの暗黒時代を象徴する冊封体制を打破するには最もうってつけであった。ロイヤル・ネービーの砲火によって時代遅れの儒教秩序は吹っ飛ばされてしまった。しかし、中国人も、アジア人も、それを理解できなかった。植民地主義の時代であった当時のパワー・ポリティックスからすれば、日本以外の東アジア諸国は列強に征服されて当然だったのである。
残念なことに、日本の戦時中の指導者達はアヘン戦争の教訓を忘れ、大東亜共栄圏の建設などといったことに無駄な労力を注いだ。アヘン戦争は、今日にも多くのことを示唆している。現在、欧米は中華帝国をグローバル経済に組み込もうとしている。アメリカの政策形成者達もイギリスの経験から多くを学べるだろう。西洋文明の衝撃は、現在でも日本とアジアの関係に影響を残している。だからこそ、日本外交の軸足は日米同盟なのであって、日米中等距離外交などはあり得ない。何よりも日本という国の基本的な立場を歴史に基づいて考えねばならない。(おわり)
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