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2010-07-28 00:00
「氷河特急」事故でスイス国鉄の喪ったもの
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
スイス国鉄の「氷河特急(Glacier Express)」の事故には、二重の意味で驚かされた。最初の驚きは、いうまでもなく、スイスの鉄道に事故が起こった事だ。欧州を列車で旅した事のある人なら誰でも同感すると思うが、ドイツとスイス、就中スイス国鉄の列車運行の芸術的なほどの正確さと確実さは、一頭地を抜いている。具体的な国の名前は挙げないが、事故が起こったと聞いても余り驚かない鉄道もないではない。しかし、スイスに限っては、という思い込みのようなものがあった。
第二の驚きは、その事故の原因がはっきりしないままに、運行が再開された事だ。先ず日本では考えられまい。この国鉄当局の判断について、現地の反応がどうなのか詳らかにしないが、批判めいた論調がないとすれば、安全というものに対する感覚がずいぶん違うのみならず、少し狂っているのではないか、と思う。「事故の明らかな原因は判明しないが、知る限りの原因と思しきものは全てチェックして、安全は確認した。よって、運転を再開する。再度事故が起こったとしても、その事態を公表してのうえの事だから、それでも列車に乗った旅客の自己責任だ」というのだろうか。
自己責任論だとすれば、そこまで徹底するのは一種爽快でさえある。ピサの斜塔のてっぺんに手すりなどはつけないで、「落ちたとすれば、落ちるやつの責任だ」という、あれである。ただ、事故原因が不明のまま運転を再開する理由は、おそらくドル箱列車だという採算面。さらには(自己責任に立脚する)観光客の要請、ということになるのだろう。前者は、JR西日本に対して「採算性重視の安全無視だ」として、マスコミが厳しく糾弾した内容そのものだ。後者については、それが風土として存在しているのなら、いうことはない。
ただ、大量交通機関の安全性というのは、ほぼ全面的にサービス供給側に結果責任がある。単なる確率論で割り切る訳にはゆかないように思う。だから、「これまで運行中に類似の事故は起こらなかった。点検の結果知られる限りの事故の原因と思しきものは全てセーフだった。だから、起こったこの事故の原因は解らないが、いづれ解明されるまでは安全だ、という想定のもとに運行しよう」というのは、明らかな誤りだ。もしかすると、原因は大方見当がついていて、公表していないだけかもしれない。それはまた別の問題を提供する。いずれ事故原因と思しきものが特定されよう。それまでの間運行を続けていても、「氷河特急」に事故は起こらないだろう。しかしこの瞬間、スイス国鉄は最も大きなものを喪ったと思う。
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