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2010-07-27 00:00
「政策コンテスト」は首相のリーダーシップ放棄だ
杉浦 正章
政治評論家
なんともはや安易な発想である。来年度予算案の特別枠の内容について「政策コンテスト」という公開の場で議論するというのである。財務省主導の批判をかわすための苦肉の策のようだが、ポピュリズムの象徴で成果の上がらなかった事業仕分け同様に、“大衆参加”のお墨付きがなければ、首相・菅直人が予算編成でリーダーシップを発揮できないのかということになる。政治主導どころか、政治家不要を印象づけることになりかねない。
官房長官・仙谷由人の発表によると、(1)特別枠の内容は「政策コンテスト」で選ぶ、(2)公募による国民の参加やインターネットでの意見聴取も検討する、(3)最終的には菅が判断して配分を決める、という形のようだ。菅自身も「これまで予算編成というと、やや密室の中で協議をする、あるいは関係者だけでの協議というところが多かったわけだが、今回はそういう編成過程も透明化したい」と説明した。しかし、憲法に定められた内閣の予算提出権を大衆討議で決めて良いのか。
欧州などでは重要政策についての国民投票制度があり、日本でも導入すべきだという声が高まっている。選挙によって国政のかじ取りを議員に委ねている代議制民主主義を補完させるためのものであるが、実現に至っていない。ましてや個々の政策について国民が参画して首相の決定に影響を与える「政策コンテスト」は、何の法的根拠もない。事業仕分けでは「我々は国民の代表でここに来ているんだ」と開き直った者がいたが、国民は代表に任命した覚えはない。同様に、何の基準でコンテストの参加者を決めるのか。また構想の破たんが目に見えているのが、インターネットによる国民直接参加の仕組み。仙石はインターネットの何たるかを知っているのか。世の中でインターネットほど信用のおけないものはないのである。「国民」と称する外国人が、外国から参加することも可能だ。ある組織が動員をかけて、同じ意見を主張することも可能だ。
要するに、政府は議院内閣制で成り立っており、予算編成は政治家がすべて責任を負うべきものだ。血税の使い道を「コンテスト」などという浮ついた用語で決定すべき性格のものでもあるまい。選任された政治家が責任を持って決定すればよいのであり、国民は選挙によって予算の当否を判断するのである。だいたい「1兆円を相当程度超える額」の特別枠とは、今後の民主党政権の成長戦略や重点施策を象徴するものとなるはずであり、予算項目の中でももっとも重視されるべきものだ。「コンテスト」の論議を菅が水戸黄門の印籠よろしく掲げなければ、財務省を押さえて政治主導を発揮できないとなれば、それこそ菅自身のリーダーシップを問われることになろう。
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