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2010-04-30 00:00
普天間基地移設問題の本質は「NIMBY」問題ではないのか?
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
飛行場の騒音は凄まじい。軍事基地ともなればなおさらのことだろう。事故による危険性までが加わるとあっては、「住んでいる場所の近くに基地なんぞ金輪際来てほしくない」と考えるのも、無理からぬことだ。社会的に見れば存在の必然性(例えばゴミの処分場)は理解できるが、自分の家の傍には願い下げ、というのが世にいう「NIMBY(Not In My Back Yard:ウチの裏庭にはイヤよ)」現象であり、これは語源が示すように洋の東西を問わない。
とはいっても、ゴミの処分場はどこかに作らねばならない。刑務所もそうだし、犯罪者更正施設もそうだ。今回の沖縄の問題で、意識してか、そうではないかはともかく、表立って問われていない点は、ここにある。日本の領土内に米軍軍事基地は必要なのか否か。ことは日米安全保障体制そのものの是非につながる。「やむなし」というか、「積極的に容認する」かは別にして、現在の世界情勢、就中極東情勢から日米安全保障条約が必要であるとするならば、一頃盛んだった「安保タダ乗り論」を援用するまでもなく、軍事基地を国内に設置するのは、当然の義務だろう。
その配置がある特定地域に偏っているかどうか、それが公正なことなのかどうか、という議論はあり得る。美しい自然環境を破壊して人工物を造営することの是非も問われるべきだろう。しかし、それらの議論が全て落ち着くところが、「国際版のNIMBY(日本から出て行ってもらいさえすれば、それでよい)」という話になるのかどうか。そこまでの議論を尽くさないままに、忌避と嫌悪を主張するだけでは、とても納得性のある結論が出るようには思われない。
関係諸方面のすべてが納得するような結論を得る、あるいは得るべく努力する、というのは民主主義の基本であり、それを志向しようとする限りにおいて、鳩山さんの意図は誤ったものではない。しかし、それが常に可能であると信じたのでは、単なる楽天的幻想家だし、時には「最大多数の最大幸福」のために少数者が苦い薬を飲まざるを得ない、ということを認識するのも、同じく民主主義のイロハだ。その対立をむきだしの二律背反のような形の問いかけとして露呈させるのは、政治問題の解決策としてはもっとも愚かだろう。たとえそれがどれほど善意の動機によるものであるにしても、である。鳩山さんが誰に頼まれた訳でもないのに、自ら設定した5月末は近い。日経「春秋」欄にいわせれば「決めないと決めた」ことになるのか、「見直すことを見直すことを見直す」ことになるのか。小沢金権問題とは違い、こちらのほうはうやむやに済ませる訳にはゆきそうもない。
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