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2010-04-09 00:00
新党談義あれこれ
杉浦 正章
政治評論家
つれづれなるままに、永田町に浮き沈みする新党談義をあれこれ拾って、分析してみた。
【立ち上がるべきは政治】都知事・石原慎太郎らしく大時代な党名をつけたと思っていたら、早速みんなの党代表・渡辺喜美から「立ち枯れ日本」との別名を賜った。筆者は「たちあがれ日本」の新党名はちょっと時代感覚がずれているのではないかと思う。民主党も駄目、自民党も駄目で、液状化している「政治」から、いまさら日本も「立ち上がれ」と鼓舞されたくないだろう。政治の無策の中で、民間企業も、勤労者も、独自に必死で立ち上がろうとしているのが、日本の姿だ。政治こそ「立ち上がれ」といいたいのが、国民だろう。言うなら「立ち上がれ政治」だ。
【サムライ日本】新党名には、朝日新聞の報ずるところに寄ると、面白い候補がいろいろ挙がったようだ。「ありがとう日本」「頑張れ日本」から元運輸相・藤井孝男が「サムライ」を主張、「サムライ日本」も候補に挙がったというが、この「サムライ日本」がパロディでは一番だ。昭和6年、西條八十作詞の流行歌「侍ニッポン」があるではないか。あの一世を風靡(ふうび)した「人を斬るのが 侍ならば、恋の未練が、なぜ斬れぬ・・・」である。その2番がぴったりと合う。「昨日勤王、明日は佐幕、その日その日の出来こごろ、どうせおいらは裏切り者よ、野暮な大小落とし差し」である。アラフォーならぬアラ古希の与謝野馨が述べた「与謝野が1人去ったと思ってくれればいい」の新国劇調の名セリフと合わせると、何かしみじみとした哀感が漂ってくるではないか。もっとも「裏切り者」と言われてはまずかろう。
【割れても末に】政治家の発言も、野暮なものから深いものまで、さまざまだ。野暮の筆頭は総裁・谷垣禎一の「比例復活で当選していながら、離党するのはいかがなものか」。山本一太あたりが言うならまだもっともだが、総裁の発言としては、惻隠の情に欠ける官僚的発言だ。本当の政治家は、もっと包容力を持った発言をするものだ。だから若手から嫌われる。それに比べると元外相・高村正彦の「民主党政権を倒す目的が同じだから、『割れても末に逢わんとぞ思う』ということで、やる以外にないのかなと思う」はいい。百人一首にある崇徳院の「瀬をはやみ、岩にせかるる滝川の、割れても末に逢わんとぞ思う」を踏んでいる。「流れが速いので、岩に遮られて二手に分かれている川の流れが、また一つに合流するように、今別れ別れになっているあなたとも、またいつか逢いたいと思っています」という恋の歌だ。まさに新党結成の狙いと、政治家の友情をほのかに感じさせて、知性も伝わる。もっともこの発言は、田中角栄が、河野洋平らが新自由クラブ結成で離党したときにも発言しているから、二番煎じではある。
【悪乗り新党】そうこうしているうちに、東京都杉並区長・山田宏や、前横浜市長・中田宏らがまたまた「新党」だという。国会に議席もなくて、政党の要件も達成できない面々が、「新党」と言えば、マスコミがはやし立てるとでも思っているのだろうか。「新党」を“活用”して、自らの議席を得たいとの下心が見え見えで、嫌らしい。事実、全国紙の扱いは急速にしぼんでいるが、面白半分の民放はともかく、NHKが毎朝トップで新党問題を大々的に報じているのは、どういうニュースセンスをしているのだろうか。テレビが民主党政権を作り、テレビが民主党政権をけなし、テレビが新党を作る。政治が鴻毛より軽きに置かれている。山田は「日本を変える起爆剤になる」と意気軒高だが、区長が大口叩くのは、まだ10年早い。
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