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2010-03-18 00:00
欧米思想に無防備なアジア
四条 秀雄
不動産業
防衛力というと、普通、破壊力である核兵器とか通常爆弾とか戦闘機とか、そういうものをイメージしますが、いかに強い力も使いどころを間違えると、何の効果も発揮しません。「死せる孔明、生ける仲達を走らせる」という中国の故事がありますが、言葉の力によって、相手の状況認識に歪みを与えて、力の行使を誤らせてしまうこともできるわけです。国家間の争いは、江戸時代のような人口管理が無い場合は、大なり小なり資源の争奪戦に発展しますが、資源を自分の思うとおりにコントロールしたい場合、軍事力の行使以外にも、競争相手の状況認識を変えてしまうという方法もあります。
その最も端的な例が、新興宗教などで見られるように、信者となったものが自ら進んで教祖・教団の下に資源を運ぶというようなことです。人間は、理性的な能力を持つ生物だと言われますが、実際には、理性よりも物語に生きる生物であるように思われます。例えば記憶術なども、数字の羅列を物語にして覚えると、長く鮮明に覚えていることができます。理性は、そうした物語を批判的に検討する作業の自意識の産物ともいえるでしょう。現代日本を含めアジアは、こうした物語を操作する行為や宗教に対する批判的分析の歴史がないために、とても脆弱な一面があると思います。
欧米諸国はキリスト教圏といわれますが、実際には、国ごとに宗教を管理してきた暗黙の闘争の歴史を持っています。イギリスには国教があり、フランスでは宗教の政治介入は禁止されています。ロシアにはロシア正教があり、米国はプロテスタントです。決して一枚岩ではありません。一方、アジアは、宗教自由の名の下に信徒獲得の市場が開放されると、なす術がないことになります。日本は江戸時代には欧州に似た宗教管理の制度がありましたが、明治維新や敗戦によって、ほとんど無制度状態になりました。
宗教以外にも、思想もまた同じような働きをします。経済学などの社会科学は特にそうです。米国では自由貿易、自由競争の経済思想、欧州では保護貿易、福祉社会の経済思想が強いといえるでしょう。これは、海上交通の覇者である米国とEU共同体で管理可能な市場の拡大を目指している欧州との地政学的な立場の違いを反映していると思います。そして、ここでもまたアジアは思想自由の名の下に沢山の留学生を欧米諸国に送り出しているわけです。そして、留学生たちは学んだ思想を母国で実践しようとするわけです。アジアに死んだ孔明の姿を見つけられるでしょか?それとも、アジアは仲達のように走り続けるのでしょうか?
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