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2010-02-27 00:00
官の独裁政治か、民の民主政治か
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
理想的に運営されている独裁政治と、腐敗堕落の限りを尽くす民主政治、という例は良くひかれる。どちらが良いと思いますか、という訳だ。諸説あるだろうが、落ち着く所は、理想的に運営される独裁制なんていうものはあり得ない。仮にあり得たとしても長続きしない、ということで、だから独裁政治が成立しないように様々な工夫を凝らすのが民主政治の仕組みだ、ということになろうか。これなどはかなり解り易い話だが、すこしひねると意外に簡単にだまされる。
サービスの提供システムに関連して、効率的かつ公平に運営される官僚制度によるのと、非効率、正当性を欠く市民社会ではどちらが良いか、というのは、その一つだ。効率的かつ公平というのは無理な相談で、というのも、TPOに応じて適当な手段を講じるのが効率ならば、そんなものお構いなしに結果の平等を求めるのが公平だからだ。とすれば、公平をとことん追求すれば非効率にならざるを得ないし、第一官僚制が効率的だったりする訳がない。官僚制とか、クニのシステムというのは、暴力装置を背景にする強制力を持つから、最後の所は「有無を言わせず」とか「慇懃無礼」に落ち着くのは見えた話だから、そうならないように様々知恵を絞ろうとするのが市民社会だ、ということだ。
要するに、痒いところに手が届くような話を期待するのなら、お役所頼みは無理だ、という当たり前の話をしているのだが、これがなかなか額面通り受け取ってもらえない。税金というのは公平無私に使われるべきでしょう。というところから始まって、ならば特定の者の利益になる使い方を選択すべきではありませんね、となる。法律の作りようにもよるのだが、「こども手当」みたいなものは、個別の事情お構いなしに一律、まんべんなく給付されざるを得ない。母子家庭に手厚くしようとか、障がいなどの生活環境に配慮しようなどと、きめの細かいことを考えると、やたらややこしい法律が出来るのみならず、その運用解釈を巡って役人の出番が増え、虻蜂取らずになるのは、今度の公益法人改革を見てみれば一目瞭然だ。
税金を一旦お役人の手に委ねて、彼らをして配分せしめる、みたいな構造が良いのか。それともおさめる納税者の側に配分先を一部お任せする仕組みが良いのか、というのが問われている。そんなことをされては、お役人は自分の権限が減るし、天下り先も少なくなる。大反対なのだが、まさかそんな理由で反対も出来にくいから、「公平だ」、「効率だ」を持ち出す。口当たりが良いからつい食べる人も増えて、現状維持派は常に強い、ということになる。公益法人制度の話というのは、単に天下り征伐をしていれば良い、ということではなく、司馬遼太郎風に言えば「このくにのかたち」をどうするか、という話だ。だから、その枠組みを役人に作らせて、そのお目こぼしにあずかることをひたすらにこいねがう、といったへっぴり腰では何も変わらない。悪法もまた法だから、運用解釈でなんとかしよう、という議論は、理想的な独裁制を説いているに等しい。
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