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2010-02-20 00:00
改めて問う、「新しい公共」とは何か?
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
まず、財政の無駄を徹底的に排除して、その後初めて、(消費税による)歳入増を考える。これが民主党のマニフェスト、あるいは選挙公約の最大なるものだった筈だ。高速道路の無料化などという愚劣な政策も、子供手当のバラまきによる需要喚起も、これに較べたら優先度は低い、というべきだろう。自民党谷垣総裁の指摘は正鵠を得ているといわねばならない。
ところが、菅さんは「税収規模が現在のままで良いのかどうか、検討の時期に来ている」と発言した。7兆円の無駄を絞り出すはずの「仕分け」が6千億にとどまったのは、初めての試みな上に、党内外からの障害もあってのことだから、やむを得なかったとしよう。今回はそれこそ褌を締めて大一番に取り組むのがなによりの優先事の筈だ。誰が見ても、官僚の言うなりになって据え膳を食べさせられた前回の轍は踏まない、くらいの知恵は民主党にある筈ではないか。
天下り公益法人への税金ムダ遣いをぶった切るという。大いに結構だし、まだまだその余地はある。しかし、公益法人問題の追求をそこで留めるのは、余りに近視眼的だ。民主党スローガンに言う「新しい公共」の担い手としての公益法人の活動の自由度を大幅に広げ、官僚の手に一旦入ってから事業化、実現化されている数々の「公共」を、ストレートに民の手に委ねるべきだ。ところがやっていることは、その正反対ではないか。公益法人に「自殺せよ」と言わんばかりのくだらない規制の数々を加え、天下り法人みたいなものしか生存できないような法制度を放置する。
その尻馬に乗ってはしゃぐ御用学者ならぬ御用業界団体がいるのは、いつの世でも同じ構図だから驚かないが、「新しい公共」とは何か、地に足をつけて考えている民主党のブレーンがどれほどいるのかと思う。「アジア重視だ」「日米新時代だ」「国民の命を大事にするだ」と、スローガンさえ連呼していれば、何かが変わるのではないかという幻想は、そろそろ棄ててはどうか。政官財のトライアングルをぶちこわすのは結構。しかし、これまでそのトライアングルが果たしていた配分機能なり、政策策定機能を誰が肩代わりするというのか。民主党代議士諸公が代わって相務めるとは、まさか本気で考えているとも思われないが、政治主導というのはそんなことではないはずだ。
「新しい公共」とは、これまでのタテ割りの行政に絡めとられていた100種類を超えるさまざまの非営利法人、公益法人をひとつの機能とコンセプトにまとめあげ、民意がそこに反映する仕掛けを作ることに他ならない。そこに思い至らないで、呪文のようなお呪いを唱えているのでは、この政権も先が見えた。
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