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2009-12-21 00:00
アフリカ開発援助は、日本の国益だ!
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
日本のODAが、第二次大戦の「賠償」として始まったという経緯もあり、また、侵略戦争あるいは軍国主義思想に対する罪悪感もあって、自分の考え方を外国に「押し付ける」ことに対して極度に神経質であった。それがODAにおける現地政府からの「要請主義」ということになる訳だが、アフリカにおいてそれがどれほど理想主義、というより非現実的夢想に過ぎないか、ということはお解りいただいていると思う。アフリカの今日の問題点のほぼ全てが、西欧宗主国の植民地経営と奴隷貿易に起因していることを思えば、それにも関わらずやれ「構造調整(SAP)だ」、やれ「民主主義だ」と言い募る西欧論調の厚かましさに較べれば、日本のこの態度はナイーブというか、自虐的というか、とにかくいたいたしいほどに素直である。
アフリカの貧困はたかがODAごときで解決できるような代物ではない。そんなことは誰でも知っているのに、そこに既得権益が発生する。日本の天下り公益法人と同じように、アフリカに投じられている国際機関を含め多くの国際援助の相当部分(50%に近い、という人もいる)が、アフリカ人ではない高給取りのガイコク人の人件費に消えている。これについて詳論するのは避けるが、その実情がどうであれ、とにかく開発援助というのは、農業における資本の原始蓄積のブースター機能を果たすしかない。これが始まらなければ、この大陸の貧困問題は解決できないことが明らかだからだ。
そのために必須となる企業(産業セクター)が初期投資採算性の危うさから介入を尻込みするのに代わって、あるいは助っ人として、投資に参加するところにしか、その意味はないというべきだろう。利益率が十分でさえあれば、医療、インフラ等本来公的投資でなされるべき分野でさえ自前でまかなって、企業がアフリカのあちこちに進出しているのは人の知るところだ。TICAD以来、珍しくイニシアティブをとりたがっている日本のアフリカ政策ではあるが、良い意味でも、悪い意味でも、日本の特色であった「官民連携」(あるいは癒着?)が表に出てはいない。ダムや道路を国内に造って、癒着しているよりも、もっと規模の大きい話なように思うが、やはりそちらが甘い汁であるうちは、なかなか軸足が動かないということだろうか。
なりふりかまわずアフリカ大陸における資源確保に狂奔している中国を見ていると、レアメタルの中国依存に何の危機感も抱いていない日本というのが、まことにお人好しに見えて仕方がない。意識の国際化というのは、小学校から英語を教えるなどという枝葉末節の話ではない筈だ。やれ外需依存ではなく、内需喚起だ、などという紋切り型にうつつを抜かす前に、アフリカにどれほどの可能性があるかを考える方が先ではないか。企業の長期的利益と同じように、クニにとってもenlightened self interestは存在する。アフリカ十億の住民が望んでいるのは、慈善(charity)や緊急援助ではなく、働く場所の確保と産業の成立であることは、東アジアの歴史と何の変わるところもない。
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