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2009-12-17 00:00
日本は「言葉の職人」を創り出せるか?
四条 秀雄
不動産業
西洋文明は、「はじめに言葉ありき」というところから始まります。西洋社会の諸制度や政治的正統性を安定させる根源であった聖書が、言葉として自己規定されていることに由来があるとのことです。そして、こうした神の言葉の解釈をめぐる歴史的・継続的な争いが、西洋の言語文化を発達させ、今日の巨大ソフトウェアの構築に関わる技術・手続き・品質保証・安定性・運用法を支えているように思えます。
西洋では、とにかく最初に言葉を発すること、すなわち、どんなものであれ、とにかく文章を生み出すことが大切です。
(1)文章を書くことで、全てが始まり、
(2)それを証拠付けたり、
(3)要約・整理したり、
(4)再現性や安定性のありそうなことを仮説として提示したり、
(5)その仮説の再現性を本当に正しいのか確認したり、
(6)その使い道を評価したり、
(7)それをライブラリに蓄えたり、
(8)或いはある時にある目的のためにそれをライブラリから取り出して利用してみたり、という、そういう一連の過程が、西洋の教育や社会や政治の制度のいたるところに組み込まれているように見えます。
一方、日本は最初に言葉がない文化です。言葉ではなく、職人的身体を文化の継承発展の媒体としてきました。テキストではなく、身体が文化継承の媒体になっている以外では、それほど大きな差はないと思われます。上記の(2)から(8)までは、かなり完璧にやろうという精神は日本の文化にもあります。しかし、テキスト・文章にしようとする点だけが著しく異なっています。従って、日本的文脈の延長で考えれば、これから求められる人材は「言葉の職人」とでもいうべき存在なのではないでしょうか。
彼は、まず、言葉を起こすことから始めます。日本人にとって最も難しいことです。次に、言葉の真贋のために、証拠の品や事実や鑑定書を付けておかなければなりません。しかし、証拠や事実はともかく、過去の日本人の言葉は鑑定書付きではないので、この点で日本の言葉の職人は苦労します。彼は言葉の職人としては最初の人ですから。
3番目に、彼は人に伝わるのに必要十分な分量へと文章を絞らなければなりません。これも大変な作業です。この時、数学は有力な道具になります。数学は、視覚を抽象化して、見たものを曖昧なく区別し、表現します。丸は丸、正方形は正方形、1つは1つ。見たものは数学を介して言葉になり、他人に伝えられます。このへんに絵画と数学と美学は結びつく背景があり、言葉で純粋に表現されるが故に、数学的な絵は美しいという時代もあったのでしょう。
4番目に、彼は、証拠付けの時の自分の苦労を思い出しながら、再現性のあること、安定性のありそうなことを見出そうとします。それは後世代の職人の苦労を省くことになるからです。数学で言えば、定理の証明でしょう。証明された定理は安心して利用することができます。
5番目からは、彼一人の作業から社会の作業になります。彼と同世代の最初の言葉の職人たちは、彼の言葉の真贋と、見出した言葉の技の再現性と安定性、それから使い道を評価し、鑑定書を付けて秘伝書に書き残すのです。
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