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2009-10-22 00:00
西川日本郵政社長の辞任に思う
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
日本郵政の西川社長が辞任された。自民党政権末期、鳩山総務相の中央郵便局改築に伴う唐突な発言から始まって、民主党政権の亀井大臣にいたるまで、何やら本体のお仕事とは必ずしも関係ないところで翻弄された感のある同氏の去就ではある。刑事事件を起こしたのなら格別、民営化して迎えた社長の経営に関する一挙手一投足に、政治家や括弧付きの「世論」が目ひき袖ひきするのはいかがなものか、と思っていた。ちなみに、筆者は中央郵便局改築に異論はないが、三菱八丁ロンドンが、味気ない近代ビルになってしまったのは遺憾に思っている。
しかし、西川氏の辞任は小泉改革が名実共に否定された、あるいは否定しようと公言する人々が政治の舵を握るようになった、という意味で極めて象徴的な出来事だ。郵政改革に毀誉褒貶があるのは承知しているが、巨額の郵貯が垂れ流しも同然に特別会計に流れ込んでいたのを阻止し、自主運用に任せた、という側面は忘れられてはなるまい。肝心の自主運用が、運用当事者の能力や、有形無形の束縛によって結果的に国債を買う以外に能がなく、意図したところが不発に終わったのも、西川氏の罪であるのか否か、歴史が判断しよう。
郵政民営化の来し方行く末について詳論するのはこの手に余る。ただ今回巷間伝えられている「改革」案なるものの中味には、いささか首をひねる部分がないではない、ということを指摘するにとどめよう。どんな過疎の村にでも、郵便だけではなく、貯金、そして保険の三つのサービスが提供されるようにしようというのは、一つの施策であり、あながち非とするにもあたるまい。しかし、それにはコストがかかる。そのコストを国がもつ、つまり税金でカバーするのか、独立採算の郵政におっかぶせるのか。明治時代以来、郵便制度の普及に貢献した地方名望家による「特定郵便局」を、その歴史的な功績の故を以て、未来永劫に優遇するのか。
「小泉改革が弱者を切り捨てた」「竹中市場原理主義が格差を増大させた」と、悪者探しのレッテル張りをして、思考停止に陥っていては、形を変えた衆愚政治にまっしぐらに進むだけの話ではないか。友愛主義者がやろうが、市場原理主義者がやろうが、手厚いサービスにはカネがかかる。そのカネを誰が出すのか。誰も出したくなければ、低い水準のサービスで我慢しなくてはなるまい。郵政民営化を玩具にしてはならない。
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