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2009-09-30 00:00
天津濱海新区を2年半ぶりに再訪して
村瀬 哲司
龍谷大学教授
去る9月中旬、天津濱海新区を2年半ぶりに訪問した。目的は、人民元国際化の動きが本格化するなかで、濱海新区における金融動向を直接確かめることにあった。2006年中国政府は、濱海新区を上海の浦東新区とともに国家開発プロジェクトに指定した。重点事業の一つが金融改革の実験で、「金融機関、金融業務、金融市場および金融開放に関する重要な改革は、原則的に濱海新区で先行実験する」として、「外貨管理政策、オフショア金融業務」などの改革可能性が示された。当時、天津市金融当局は、新区内では必要なだけの人民元・外貨交換を認めるなど7項目の外貨政策を発表した。
事実、先行実験の一つとして07年8月国家外貨管理局は「個人の対香港証券投資を濱海新区の銀行を通じ解禁する」と発表したが、香港株式市場の過熱を招いたため、結果として実施は見送られた。08年中国政府は、多岐にわたる濱海新区関連政策を承認し、金融分野では株式のOTC(店頭取引)市場開設が具体化することになったが、人民元のオフショア市場具体化など外国為替管理に関連する分野には言及されなかった。
今回の訪問に際しては、天津社会科学院や経済技術開発区投資促進局から、濱海新区の目覚ましい発展につき説明を受けた。ただし、金融特区に関しては、北京と並ぶ中国北方経済の金融センターを目指すという現実的かつ抑制された将来展望に終始し、これから人民元国際化の動きの中で一役を担うといった意気込みは感じられなかった。この背景としては、上海の国際金融センター化の動きには対抗しえないことに加え、人民銀行前総裁の戴相龍天津市長(2002年末-07年末)が社会保障基金理事長に転出したことが大きい。
天津濱海新区における対外的な金融改革の実験は、事実上放棄されたと考えざるを得ない。他方、内外の先端産業の集積地としての実績と将来性に関しては刮目すべきものがあり、日本のトヨタや韓国のサムソン、米国モトローラなどの世界企業の生産活動に加え、当地で組み立てられたエアバス社のA320型機が、本年5月試験飛行に成功したことが象徴的である。
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