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2009-08-25 00:00
(連載)平知盛の死生観と現代世界(2)
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
話し合いそのものにもルールがあって、それを誰がどうやって決めるんだ、というのもひと議論だが、それをさておくとすれば、ここでは場慣れと経験がものをいう。成功よりは失敗のほうが教訓に富む、というのは世の倣い。タテマエとホンネの使い分けの場数をどれほど踏んでいるか、という知恵はいくつもの苦い経験から、人は、そして国も身につける。これを通例説得の技術というのだが、日本人の場合、とかく場慣れしていないこともあって、タテマエに本気でこだわった挙句、どうにもならなくなると、突然無原則に豹変する、となりがちなように見える。
非核三原則と核搭載艦船寄港、自衛隊海外派遣と武器携行、資本市場への外資参入などは、その一例だろう。国際人、というコトバがどうかすると揶揄的な意味合いで使用され、バナナだ、西洋かぶれだと見下げられた(まあ、そのテの軽佻浮薄なのも少なくなかったことは事実だが)のも、そんなに遠い昔の話ではない。
だから、国際交渉技術に長けた日本人を作らねばというと、小学校から英語を教えようなどという間抜けた政策が大まじめで出て来たりする。高校の英語教師の半分を英語圏から採用するなどという話には金輪際ならない。帰国子女という貴重な財産も、あたら外国の会社にさらわれてしまっている。海外留学経験が必ずしもプラスとして機能しないのは、麻生首相に明らかだが、これは別論する。世界共通ルールの最たる言語である「民主主義」とか「人権」というコトバにしても、義務教育の教科書にある砂糖をまぶしたような口当たりの良い観念を一歩も出ないと言って良い。
日付変更線を通過すると、国際人が一変して日本人になる、という「使い分け」が通用している限り、この状態は変わらないと言って良いだろう。「使い分け」が賢明な処世術である事態を何とかしない限り、交渉下手の日本(パブリック・セクターを念頭においている。民間セクターは全く別の話だが、それがこれほど見事にパブリック・セクターに移植されていないのは驚異的だ、という含意である。為念)は当分変りそうもない。で、つまりは「日本の常識、世界の非常識」を自戒しましょう、という月並みな話に落ちた。(おわり)
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