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2009-08-09 00:00
中国は「G2」時代の責任を果たせるか
舛島 貞
大学准教授
いよいよ「G2」の時代到来などと言われる。アメリカは米中関係を「最も重要な二国間関係」と言い、「21世紀を形作るのは、この二国間関係だ」とも主張する。G8やらOECDといった先進国クラブに入ることなく、世界第二の経済大国+政治軍事大国になろうとしている中国を、アメリカ自身ががっちりとエンゲージしようということでもあるのだろう。また、アメリカ国債の最大の保有国であり、外貨準備高世界一である中国と手を結ばねば、この経済危機を乗り越えられない、という目算があることも理解できる。
そうした、何かのための「演出」であるならば、このG2という言説には一定の効果があるだろう。だが、“FOREIGN AFFAIRS”誌のの5・6月号の特集を見るまでもなく、このG2が実質性をもつものであるとした場合、問題はあまりにも大きく、それが機能していくとは到底考えられない。中国自身がアメリカとともに世界の枠組みを作っていくほど、世界構想が練れているわけではないからだ。国内問題や(19世紀型、あるいは20世紀型の)国益追求で精いっぱいなところがある中国が、アメリカ並みの大国としての責任を果たしていくことは、実際には困難であることは明白だ。
中国が、さまざまな意味での国際公共財を世界に提供していくことなど、ほとんど想定されていないのだろう。だが、このG2構想が、中国国民にどれほどの「自信」を与えたのかは計り知れない。まるでカイロ会談の時の蒋介石のように、アメリカとの「対等」な関係の演出に酔いしれている。好むと好まざるにかかわらず、この東アジアで、中国はアメリカと対等な存在として自己認識し、そう振舞い始めるだろう。アメリカも、一定程度の配慮を中国にしなければならいのが現状だ。
実際に、地域秩序の形成のために何かをすることは、中国に期待できなくても、そのプレゼンスは増していく。そのような場合、周辺国には何ができるのか。抵抗をするのも一つだし、関わらないというのも一つだろう。ハードなのは、リーダーとしての振る舞いを教えていく、導いていく、という選択肢だ。これは最も難しいが、教科書的には模範解答かもしれない。しかし、そのような「大国」中国にいかに伍していくのか、対していくのかという、新たな課題が、いまの日本にはそれほど強く認識されていないようだ。
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