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2009-08-08 00:00
「日本はどうしたいのだ?」という欧米人の問い
舛島 貞
大学准教授
欧米の外交官やその経験者と話していると、「日本はいったいどうしたいのだ!」という声を耳にする。中国がG2などと言われるほどに台頭し、日本としても将来像や自国の国益、アイデンティティをリセットしたり、調整したりしなければならないはずなのに、それに対応できずに、国内問題で右往左往しているように見える、というのだ。
もちろん、中国の衝撃は、欧米のように離れた場所にいる人たちからは分からず、それほど簡単に中国という存在を隣国としてそのまま受け入れることなど容易なことではない、と反論する。それに対して先方は「結局日本はどうしたいのだ?、どうなりたいのだ?」と聞いてくる。「中国のことに不満ばかり言っていて、結局のところ何をどうしたいのか、という自分自身の目標設定がわからないのではないか」と言われてしまうのである。
戦後の日本は「平和国家」、そして「豊かさの追求」という二枚看板、外交面では日米安保+国連重視+アジア外交という三本柱があった。これらは現在でも重要なものばかりである。だが、冷戦や分断線(38度線や台湾海峡)が明確であった時代とそうでない時代においては、これらの柱の意味は変わってくる。実際、六者協議で38度線が、また中台関係の好転で台湾海峡が、それぞれ「溶解」しはじめているのが、ここ数年の状況である。そうした東アジア地域における緊張緩和と米中接近は表裏一体だと考えられる。いわゆる世界的な冷戦が終焉しても、東アジアでは分断線が残り続けた。
それは、熱戦と言われた東アジアの冷戦の「余熱」であったのかもしれない。だが、ここ数年、そうした分断線が溶解しはじめ、まさに「東アジアの熱戦の終焉」が訪れようとしている。それは中国の台頭と並行しておこっている。では、これほどの地域的な国際環境の変容に於いて、日本はどのように自国の方向付けをリセットするのか。それが先の欧米の外交官やその経験者の問いであった。次の選挙で選ばれる政権に、このような時代認識があるだろうか。少なくともさまざまなシミュレーションはしておきたいものである。
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