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2009-07-24 00:00
中国は「偉大」な「征服者」になりたいのか
大江 志伸
江戸川大学教授・読売新聞論説委員会特約嘱託
中国西部、新疆ウイグル自治区で7月上旬、最大規模の暴動が起きた。ウイグル族の決起、漢族の報復襲撃、当局による力の制圧へと展開した今回の事態は、中国共産党政権の隠れた素顔を白日の下にさらした。「征服者」のそれである。漢族中心主義は今に始まったことではない。中国近代史を振り返れば、孫文が唱えた「五族協和」は漢族、満州族、モンゴル族、回族、チベット族が対象であり、ウイグル族は視野になかった。蒋介石の国民党政権は、中国の各民族は同根とする「宗族論」を主張したが、実体は漢族中心主義だった。
共産党政権は、「五族協和」も「宗族論」も否定し、「民族間の平等」と「自治の保障」を掲げた。平等、自治のスローガンとは裏腹に、過去60年間の実際の施策は、ウイグルやチベットなどの少数民族にとり過酷なものだった。自治区政府の漢族支配、屯田兵組織の新疆生産建設兵団に象徴される入植政策、地下資源の収奪、固有文化の破壊による強制同化といった施策は、漢族中心主義、征服者の顔そのものといわざるを得ない。しかも、漢族中心主義の風潮が大衆レベルで年々強まる傾向にある。今回ウルムチで起きた漢族によるウイグル族襲撃は、その一例に過ぎない。
ウルムチ暴動が示すように、憂慮されるのは、漢族中心主義が大衆に拡散、浸透する過程で、排他性、攻撃性を強めている点だ。近年の目覚しい経済発展を実現した漢族の自信と驕りの構図、これが最大の要因だろう。北京五輪目前の昨年のチベット騒乱で漢族大衆は、流血の弾圧を当然視した。開幕式で五輪大会旗を持って行進した「少数民族児童」が実は、漢族の子供たちだった。国際社会から批判を受けたこの珍事も、国内とりわけ漢族社会で問題視されることはなかった。むしろ大衆は「些細なこと」を言挙げする海外メディアに強く反発したのである。
この数年、漢族国家・中国の「征服者」の顔が、海外まで拡散していることも指摘したい。地球規模で資源獲得に走る中国は、経済援助とセットで大量の出稼ぎ労働者を送り込み、事業の大半を担うケースが多い。とくにアフリカでは、中国の資本と安価な製品の流入が現地の雇用と市場を奪っているとして、「新植民地主義」との表現で批判する国々も出始めている。改革・開放政策の全面展開以降、中国政府は「中華民族の偉大な復興」を国家目標に経済建設にまい進してきた。その「偉大な復興」が視野に入ってきた今日、国内にあっては漢族だけの復興であってはならず、国際社会にあっても中華民族と同等の偉大さを他国民に見出す姿勢が肝要であることを、中国指導部は再認識すべきだ。
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