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2009-07-11 00:00
タテマエとホンネの乖離
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
このパーティーに出席したさの一念で総理の椅子にしがみついていたのではないか、と疑われるくらい喜色満面のG8における麻生総理だった。しかし、この席でどのような外交成果が上がったかという話になると、いささか寂しいものがある。というのも、日本外交(そんなものが存在するとして)のメッセージ性は失われて久しいように思われるからだ。ことは何も、麻生太郎に論理.哲学がないこと、その場の受け狙いだとか、軽佻浮薄だとかに終始していること、に尽きるものではなくて、日本外交の基本的スタンスに関わる。
わが国は、憲法9条のもと、非戦・平和を唱え、唯一の被爆国として非核3原則を堅持する。覇権を求めず、民生の安定をねがうODAを政策の主要部分に置いている。まことにタテマエとしては立派だが、これほど内容が空疎な外交政策も世界に稀だろう。自衛隊という名の、アジアで一・二を争う近代装備の軍隊を持ち、米国の核の傘の下にすっぽりと包まれて安逸に暮らし、利権化したODAをめぐるハイエナに事欠かない。要するに、タテマエとホンネの乖離だ。この両者の乖離は、何も日本に限ったことではなく、世界中どこへ行っても大なり小なり存在する。だから、妙に自虐的になったり、反省過多になる必要はない。
問題なのは、通例その乖離は「私」の分野に多く見られるのだが、こと「公」の分野については多少無理をして、やせ我慢をしても、なんとかその乖離をなくそうとするのが、世界では一般的ななかで、日本だけは、それがないことだ。アメリカの公民権法成立の経緯なんていうは、その典型だし、イスラム金融も、利息を禁じる中で、なんとか市場と折り合いを付けようとする努力だと考えられないでもない。ところが、日本では「私」の分野では、結構目ひき袖ひきの揚げ足取りが多い中、こと「公」になると、ずるずると長いものに巻かれる傾向が極度に強い。
オカミ万能で、エラいさんの多少の臭いところには見て見ぬ振りをしよう、ということかもしれない。エラいさんが良い目を見るのは、何も日本に限ったことではなく、独裁国家はいうに及ばず、アメリカの大企業の経営者の俸給を見れば明らかだが、とにかく民主主義を標榜する国ではそれを公表する。選挙にカネがかかるのは誰でも知っている。オバマがどうやっていくら集めたかは(多少の誤差はともかく)白日の下にさらされる。ところが鳩山さんにしても、おそらくもっと怪しげな自民党領袖クラスにしても曖昧模糊としてほとんどお構いなし。個人所得が万円単位、どうかすると千円単位で追っかけられるのと大違いだ。このあたりのエトスが、どれほどオカミそのものによって醸成され、それが改善どころかますますひどくなりつつあるかについては、これまでにも何度か触れたが、また改めて触れる機会を持ってみたい。
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