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2009-06-23 00:00
(連載)東アジアに求められる「痛み分け」の論理(1)
矢野 卓也
日本国際フォーラム研究員
昨6月23日、公正取引委員会がコンビニ・チェーンのセブンイレブン・ジャパンに対し、傘下のフランチャイズ加盟店が販売期限の近づいた商品を値下げして販売することを不当に妨害しているとして、その行為の排除措置命令を下した。公取が乗り出した以上、この事案が商取引上の不正(優越的地位の乱用)という観点から取り上げられたことは確かであるが、むろんそれ以外の観点から捉えることも可能である。たとえば、今朝の読売新聞、朝日新聞はこの事件をそれぞれ社説で扱い、ともに「食品廃棄」の問題性について指摘してもいる。要するに、セブンイレブン・ジャパンのやっていることは「もったいない」というわけである。他方、経営側にいわせれば、「十分な商品提供」と「品質管理」を両立させ、かつ損失を最小限に抑えるためには、現行のシステムがもっとも合理的であるということになるのだろう。
消費者やマスコミの動向も無視できない。仮に「品質管理」の水準を落として、食中毒でも出せば、評判はガタ落ちである。期限切れ商品の販売にはバッシングが起こり、ラベル張替えなどはリスクが高すぎる。したがって、少々もったいなかろうが、廃棄処分するほうが無難ということになる。今回のセブンイレブン・ジャパンの事案では、フランチャイズ加盟店がその経営システムの犠牲となったことで、経営側の問題点が浮き彫りとなったが、実のところ、我が国の食品流通システムはかなりの緊張を強いられた状況にあるのではないか。日本以外の東アジア諸国においても、都市中間層の増加に伴い、コンビニのような手軽な店舗の存在はもはや不可欠なものとなりつつある。「十分な商品提供」と「品質管理」の追求により、早晩これらの国々でも「食品廃棄」の問題が浮上しないとも限らない。
「もったいない」の精神は日本が誇るべき美徳であり、積極的に世界に発信しようという主張がある。むろん、そのこと自体に問題はない。ただし、今回のセブンイレブン・ジャパンの事案などと並べると、そのような主張がいささかむなしくなることは否めない。我が国の文化体系に「もったいない」の精神が組み込まれていることは確かだとしても、それとは相矛盾する精神も数多くある。たとえば商品の過剰包装がそうだ。これとて、ある種の美徳の反映であろう。セブンイレブン・ジャパンにしても、完全な商品を消費者に提供するという商人哲学の裏返しとして、現行のシステムを構築したといえなくもない。そのような相矛盾した価値のなかで、「もったいない」の精神が我が国において最優先されてきたとは考えがたい。高度消費社会との親和性という観点からすれば、当然のことである。(つづく)
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