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2009-06-11 00:00
(連載)新時代の公理系を考える(2)
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
ところが、このテの話には、容易に想像されるように、すっぱり割り切った結論というものはない。あればあったで、一種デマゴーグのようなものになりがちなのも、われわれは歴史に学んでいる。で、人間が試行錯誤の末にたどり着いたのが、言論結社の自由を中核とする市民社会のレトリックだった、といってもさして誤りはないだろう。もちろんこれに代えて、一億火の玉のファシズムという選択肢もあるが、これについては再度詳論はしない。
多元的価値観の容認というのは、例によって言うは易しく実行は難しい。「僕は君の意見に反対だ。しかし、君が君の意見を述べる自由は、身を呈して守る」などという英雄的な身のこなしを常人に求めることの難しさ、といってもよいだろう。英雄的であることは期待しない。しかし、意見を異にする人の権利を最低限守ろうという知恵が、たとえわが身に降り掛かった時の安全弁としてであれ、保証されねばならない。それができないと、アウンサン・スー・チー女史があちこちに発生する。
その意味で、時の権力者が自分の意に染まない多元的価値観を封殺しようとする試み、制度的な締め付けには早手まわしに対抗しておかねばならない。気がついた時にはがんじがらめ、ではそれこそ遅きに失する。今回の公益法人制度改悪に筆者が再三危惧の念を表明する理由はそこにある。(おわり)
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