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2009-06-10 00:00
(連載)新時代の公理系を考える(1)
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
誤解を恐れすに単純化して言えば、「正しく問いかけることは、半ば正しい答えを得たに等しい」という信念が受け入れられていた時期があった。一種予定調和といってもよいのだが、「正解というのは、常に一つにあり、かつ一つに限って存在する」という楽観論である。「正解が複数存在するように見えたりするのは、問いかけそれ自体が誤っているか、論理的過ちを犯している場合に限るのだ」という立場だ。これは限りなく人間の直感に信をおいている、という限りにおいて、旧き良き時代を代表した考え方であったといってよい。
その典型がユークリッド幾何学で、「点は、位置のみあって大きさがなく、二点間の最短距離は、直線一つあって、一つに限る。また、平行線は交わらない」という約束事(公理系)を前提にした議論だ。人間感性の「常識」に合致していることもあって、「これが悠久の真理である」と考えられていた時代が久しきに及んだのは、人の知る通りだ。ところが、非ユークリッド幾何学、つまり約束事を否定してみたら、何が起きるか、どんな論理的矛盾が発生するか、と考えてみると、平行線が交わっても、それはそれなりに辻褄のあった論理体系が構築できる、というあたりから始まって、新たな数学的地平が広がったのは人の知る通りだ。
これが無機的な、純論理的な世界に留まるかというと、どうもそうでもないらしい。それが、近代における社会科学の四分五裂を招いたというのも、当たらずといえども遠くない。浅学非才がこれ以上細部に立ち入るのは控えるにしても、多数決は絶対の真理かとか、悪法もまた法かとか、さまざまなかたちで問題提起がなされているのは、ご承知の通りだ。(つづく)
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