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2009-06-08 00:00
文明の生態史観と日本の戦略
四条秀雄
不動産業
文明の生態史観は、梅棹忠夫氏の提唱された、地理的制約によって異なった文明生態を持つ人間集団間の、相互作用によって歴史を説明する仮説です。特に、ユーラシア中央部の遊牧民集団は、相互作用の歴史構造を生み出す力と考えられています。彼らは、資源を追って移動する生態を持つ人間集団です。そして、その移動の衝撃に耐えるために第二世界である帝国群が生まれ、そのさらに外縁に、帝国を緩衝帯として保護された第一世界である西欧や日本などの先進地域が成立可能になったという仮説です。
この仮説は、資源と人間と地理の関係を扱ったものですが、地政学と非常に似ています。特に、ハートランドで有名なマッキンダーの地政学と似ています。そこでの移動する力は、遊牧民ではなく、鉄道でした。しかし間もなく、資源の移動効率と言う点において、海上輸送には劣るということがはっきりしてきます。大量の資源を動員する能力は、その国の国力に直結します。化石燃料と巨大輸送船が貨物列車の輸送量を圧倒する時代になり、鉄道に替わって海という運河の支配が重要になりました。鉄道の時代には、鉄道沿線と駅の支配が重要であったことと同様に、運河の時代には、運河周辺つまりリムランドと海峡・港の支配が重要になります。
今日では、梅棹流の生態史観で考えると、文明構造を生み出す衝撃力は海からやってきます。そして、それに対抗した帝国が生まれ、帝国の外縁に新しい先進地帯が生まれることになるといえるでしょう。現代の遊牧民は、米英アングロサクソンであり、EUや中国や少し前の日本は帝国といえるかもしれません。そして、その外側でASEANや北欧の発展が可能になったと言えるのかもしれません。このような類推は、日本の将来戦略に示唆を与えてくれるでしょう。
文明の生態史観と地政学は、よく似ていますが、そこには実は大きな違いがあります。それは、生態史観を考えついた人間は、地理的条件を受け入れる人間、つまり移動しない人間なのです。反対に地政学的理解では、地理的条件は操作対象なのです。これは本質的に移動する人間の視点なのです。この違いも、将来の日本の戦略を考える上で大きな示唆を与える点だろうと思います。
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