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2009-06-05 00:00
民主党の「霞が関解体」論の危うさ
杉浦 正章
政治評論家
「政権を取ったら霞が関官僚との決戦になる」と民主党政策調査会長代理の長妻昭が宣言しているが、たしかにこのままではそうなるだろう。党の基本政策自体が「霞が関の解体」にあるのだから、最初から“決戦”構えで臨むのは間違いない。代表・鳩山由紀夫や同代行・菅直人らの“官僚押さえ込み構想”も相当ドラスチックだ。問題は、押さえ込んで日本の政治が円滑に動くかどうかだ。どうも怪しい。政権交代の旗印として掲げている同党の「脱官僚」路線は、キャッチフレーズが躍る割には必ずしも明確ではないからだ。新聞からは「脱官僚の中身を示せ」(毎日新聞社説)と指摘されている。こうしたなかで党首脳からはさまざまな構想が打ち出されている。
鳩山は、かって「各省局長以上にいったん辞表を提出させ、民主党路線に応じるかどうかを確認して、再任する」という、いわば“踏み絵”構想を打ち出した。そこには頭から官僚をねじ伏せようという、感情的なまでの高ぶりがみられる。無理もない、民主党の財源構想が欠陥だらけなのは、官僚が民主党に情報を一切流さないからだ。情報を渡さずに、「なっていない」と批判されるのだから、怒り心頭に発するのだろう。長妻にしても、「消えた年金」も「消した年金」もひとえに発掘調査によって成し遂げたことだから、怒るのも無理はない。具体的な押さえ込みの機構についても、党が前面に出ようとしている。「民主党議員100人を各省庁に配属させる。各省の副大臣と政務官に加え、大臣補佐官を新設する。首相官邸では衆参両院一人ずつの官房副長官を増員する」という構想がある。
これに加えて、菅が4日発表した「政権構想私案」は、自民党政権の基本が内閣と党の二元制にあるとして、「内閣を官僚に任せず政権党自身で運営することが必要だ」と強調している。その上で、幹事長、政調会長らに閣僚を兼務させて、内閣と党を一元的に運営するとしている。要するに、全党あげて力ずくで官僚を押さえ込もうという点で共通している。しかし、これらの構想には致命的な欠陥がみられる。それは3権分立との兼ね合いだ。100人も党議員を官僚組織に植え込み、党首脳に閣僚を兼務させるというのだから、行政と立法が合体してしまうような流れだ。どこかの全体主義国家と違わないことになりかねない。党内社会党左派の入れ智恵かとも思いたくなる。政府と自民党はあらゆる政策をめぐってこれまで対峙してきたし、それが行政と立法の間にある種の緊張感を生み出してきた。民主党は党と行政一体化で、緊張感がなくなる可能性がある。責任の所在もあいまいになる。
また、根底に流れる思想に「官僚性悪説」がある。深夜タクシーの問題にしても、マスコミの報道に乗って批判するが、それだけ働かせていることを忘れている。収賄などの汚職や官僚の怠慢など批判の種は尽きないが、それが構造化しているアジアの某大国よりは、まだましだ。要するに、マスコミの社会記事的な批判を根拠に「霞が関改革」なるものを成し遂げようとしているのである。まじめに、真摯(しんし)に働いている優秀な官僚が大多数なことを忘れている。ポピュリズムで霞が関改革を遂行することの危険が予感される。首相・麻生太郎が党首討論で良いことを言った。それは「公務員は公務員としての仕事がある。誇りを持たせる必要がある。官僚バッシングだけやっても駄目だ。やる気にさせないと公務員は動かない」。たしかに、日本的な対応は「やる気を出させる」のが政治だ。民主党は「やる気を無くさせる」政治に落ち込もうとしている。たとえ政権を取っても短命で終わる、という最大の根拠だ。
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