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2009-05-28 00:00
(連載)小沢一郎退場と日本の再生(1)
田村 秀男
ジャーナリスト
「政治とカネ」という日本の政治の宿痾から脱けられない政治家小沢の悲劇。政治にカネがかかるのは米国も同じ。政治家本人への献金は制限されても、ダミーの政治団体が巨額の献金を受ける米国。投資ファンドをつくったり、政治的コネクションを生かし、内部情報を駆使して、世界を舞台に巨万の富を築くブッシュ・ファミリー。かれら米国の実力者が「清い」はずはない。合法か、非合法かはもちろん重大問題だが、政治のカネが汚いのは洋の東西を問わない、というリアリズムに日本人はなぜ気がつかないのか。
汚さは日米とも50歩、100歩としても、ちまちました薄暗いカネをせっせと秘書が集める日本の政治家のスケールが、米国に比べて極端に小さくなることが最大の問題なのだ。ここで、重大な日本の利害とは、株が上がるとか下がるという低次元の問題ではないはずだ。小沢は官僚政治の抜本改造を提示していた。対米同盟関係の見直しも、ぶっきらぼうに「第7艦隊で充分」と言い放っていた。本来は、緻密な推敲と議論の末に打ち出されなければならない、それほどの過激発言のはずだったが、この人物にはそんな責任あるスタミナとタフさ、構想力を日本列島にみなぎらせるだけの力量が、欠如していた。
実は、官僚政治と日米同盟は、金融危機で崩壊寸前、再生に向けた砂時計の砂が落ちて行く日本の、最大のテーマである。自民党では、安倍晋三氏が「戦後レジームからの脱却」と掲げた標語も、実はその同じ底流から発していた。ところが、安倍氏は見るも無残に自爆自沈した。革命を好まない日本のアンシャンレジームの強大な力が働いたのだろうか。そんな説明が成り立つようなら、何と日本の政治家のやわいことか。あるいは、その罪の何という大きさか。
中国の毛沢東は、政敵に信条を公に吐露させた上で失脚させ、その国民に益するはずの先鋭的な思想、先見性を葬ったではないか。政治家は言葉を発するなら、最後までそれに殉じる覚悟がなければならない。一端葬られた先見性は、その国内で何十年も復活できないか、あるいは再登場したときは、もう遅過ぎるかもしれないのだ。つまり国家は退歩、退化する。毛沢東のような権力者がそうするなら、いずれスタミナを兼ね備えたとう小平のような実力者が現れるだろうが、自爆自沈するなら、志を次ぐ者が育つ条件を巻き添えにしてしまう。小沢氏の罪もそれに近い。(つづく)
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