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2009-05-15 00:00
(連載)地球温暖化の危機は本物か(2)
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
身近な例でいえば、数百億・数千億円の税金を含むオカネを投じて行われようとしている排出権取引なるものの妥当性にも関わる問題だけに、もう少し公開の議論がなされても良いように思うのだが、なぜか「今すぐ取り組まなければ、この世は終わり」(Doomsday sayer)のような議論だけが目につくことが多い。
政治的議論というのは、一面を誇張して説得力を増す、という傾向から自由ではない。その意味では、何も環境問題に限ったことではないのかもしれない。選挙制度、あるいは教育制度の議論なども、その傾向の一例であるが、善玉と悪玉の二元論というのは、とかく耳に入り易いのも事実だ。
学者、専門家といわれる人々の出番であることに疑いはないが、周知のように彼(彼女)らとて人の子であってみれば、御用学者の類い、あるいは私的利益の動機付けから自由であり得ないケースもまた多い。となると、公開の議論を経て、最後はわれわれ自身、あるいはわれわれが選挙を通じて指名する政治家の「めきき」にかかる部分がことを決する、というのが民主主義のメカニズムだろう。
そのためには、前提となる公開の議論が必須とされる筈だ。ところが、その前提が仮に満たされた場合であっても、過大な情報量の処理は、素人の手に余ったり、判断に費やしてよい時間の制限要素などから、消化不良、はなはだしきはほとんど咀嚼しないままに事が進む、というケースもまれではない。
陪審員制度なんていうのも、その一例のように思われる。このディレンマ、あるいはトリレンマを解決するのに当たって、民間非営利組織というのは、おおいに力ある存在のはずなのだが、それが日本ではこの始末だとすると、喫緊の問題というのは、現在進行中の公益法人制度改悪を白紙に戻すことかもしれない。(おわり)
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