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2009-05-06 00:00
安西洋之さんにお答えして
近藤 健彦
明星大学教授
4月16日の本欄に「求められる戦争体験の相対化」を投稿してから、あまり間がたっていないが、また、誤解のないように、私はマニアックな投稿者からは程遠い、とんでもない無精者であるが、ものにはタイミングもあると思うので、また投稿することにした。5月4日の本欄に掲載されたイタリア在住の安西洋之さんの丁重な一文「ジャン・モネが好きになりました」に、私からお礼を申し上げたかった。4月16日掲載の拙稿では、かえって失礼かとお名前にメンションしないまま、安西さんの論評の内容に言及した。ところが安西さんは、丹念に本掲示板を探し出された。このインターネットの機会がなければ、おそらく私は安西さんとコミュニケーションのないまま終わっていただろう。重ねて本掲示板の企画者に敬意を表したい。
気をよくしての「ヨイショ」と受け取られるのを覚悟の上で言えば、日本国際フォーラムが4月30日に発表した「対露領土交渉の基本的立場を崩してはならない」という緊急アピールに刺激をうけた(編集部注:このアピールの全文および署名者名簿は、5月11日発行の複数の全国紙朝刊に意見広告として掲載されます)。学者の一人として、学者は立派なことは言うが、行動はからっきししないものと思っていたので、驚いた。
また5月1日付けの入山映さんの本欄への投稿「与謝野大臣の朝三暮四」は、含蓄において深い。私は大学で財政学を講じているので、おっしゃりたいことが100%理解できる。当代日本にはこういう大久保彦左衛門的アドバイスのできる人が殆どいない。これが大問題である。だから、満足しているわけでは決してないのに、政治的な動きにブレーキをかけられないのである。
ジャン・モネは『回想録』で「私の父は人間について楽観的な見方をしたが、私はこれを完全には引き継がなかった。人間は弱いもので、規則が欠け、制度が崩れると、予見できなくなる」といっている。「穏やかな体制派」を自認し、万事「ほどほどがよい」と考えて生きてきた私ではあるが、ここにきてそうばかりも言っていられなくなった。日本の指導者のことではないが、世界には徹底して愚かな政治的指導者が明らかにいる。これに対しては「社会的抗議(contestation sociale)」をするしかないと思うようになった。それもこれも「百家争鳴」のせいである。
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